1942年にデンマークに生まれたスヴェン・アンデルセンは、ごく若い時から実地の職業
につくことを心に秘めた少年でした。通常の学業に就くより、早くから時計職人を目指し
て4年制の職業教育を選んだのです。デンマーク時計学校での4年の学習を終えて、彼は
コペンハーゲンの王立工業専門学校に進みます。その頃からすでに世界の時計産業の中心
地がどこなのかが、彼の視野にしっかりあったようです。1963年にはスイス入りし、まず
ヴァレー州のブリーグでキャリアをスタートさせ、それからスイスの有名なスキー場であ
るサースフェーに移りました。
1964年には、ルツェルンにある時計宝飾店の老舗であるギュベリン店に入り、そこでは
優れた語学力を発揮してセールスを担当し、またここルツェルンでは生涯の伴侶も得まし
た。1965年には、彼はギュペリンのジュネーブ店に移り、セールスとアフターサービスを
担当するようになりました。
1969年は、アンデルセンの名前を世界に轟かせる年となったのです。
見たところ不可能と思われる“ボトル時計”Bottle Clockを発明。スイスの“モントルー時計
宝飾展”に出品したのです。ボトルの中に入れた部品を、ボトルの中で組み立てて時計を作
るというこのユニークな発明は、一躍彼の名を知らしめることになり、彼は時計業界だけ
でなく、国際的なコレクターたち、そしてプレスの耳目を集めることになりました。
この驚くべき偉業に目をつけた、パテック・フィリップス社が、1969年にスヴェン・ア
ンデルセンを、この映えある伝統の高級時計メーカーの“コンプリケーション工房”に迎え
ることになります。
パテック・フィリップス社で9年間働いた後、彼はついに自分自身の時計工房を持って
独立することを決心し、1970代の末に、“アンデルセン・ジュネーブ”のブランドを立ち上
げました。最初に彼が手がけたのは、古い懐中時計の修復でした。続いてイタリアのコレ
クター達が、腕時計のムーブメントの修復を依頼してきました。彼の職人としての腕は、
間もなく、世界に一つしかない“ユニーク時計”(Pièce unique)という注文商品の分野へと
発展し、世界中のコレクターの注目を集めるようになったのです。
アンデルセン・ジュネーブでのキャリアにおいて、彼は百個以上の“世界唯一”のユニー
ク時計を作り出し、年度カレンダーAnnual Calendar、永久カレンダーPerpetual
Calendar、世界時計World Time、ジャンピングアワー表示Jumping hour indicationsなど、
数々のインベンションを発表していきました。
アンデルセン・ジュネーブは、こうしてコンプリケーション・ウオッチの世界で、世界
的な名声を獲得していきましたが、その生産数はごく少なく限られました。その中には、
有名な“エロス・オートメーション”Eros Automation”、”タクト時計” Montre à Tact”、世界
時計“World Time Watch”などがあります。
アンデルセン・ジュネーブの、他では見られない独創性に富んだ作品は、多くの賞を受
けています。最小のカレンダー時計Calendar Watch(6.5 x 17.4mm)は、マッチ棒の頭く
らいしかないという、かつて人間の手によって作られた最小の時計として、1989年ギネス
ブックに登録されました。また世界時計の“ムンドゥス”Mundusは、世界でもっとも薄い時
計として1994年に表彰されています。
1985年にスヴェン・アンデルセンは、AHCI(独立クリエーターのための時計アカデミー) を立ち上げ、この団体は世界12カ国31人のメンバーを持つ、世界のハイグレード時計、時 計職人のスタンダードとなっています。 アンデルセン・ジュネーブは、常に最高の技術を持つ時計職人を受け入れており、フラ ンク・ミューラーは7年間同社のアトリエで働き、フェリックス・バウムガルトナーは4 年間、そしてフィリップ・カンタンは16年もの長い間、アンデルセンの元で働きました 。彼の持つ哲学と高い技術力は、共にジュネーブの工房で働く多くの時計職人のマスター たちに受け継がれ、生き続けているのです。
40年のハイレベル時計製造術を誇る目玉商品の数々
アンデルセン・ジュネーブ社は、世界中のコレクターが求める“世界唯一”の時計作品 Pièce uniqueを夢見て、それを実現してきました。それに加えて、数々の桁外れの製品が 、アンデルセン・ジュネーブ社を代表する作品として時計コレクターの間に注目を浴びて います。
アンデルセン・ジュネーブ社が開発した最も複雑な時計は、『永久カレンダー』Secular Perpetual Calendarを内蔵した『コンプリケート・ウォッチ』Complicate Watchでしょう 。通常の時計では、400で割り切れない3つの年、すなわち西暦2100年、2200年、2300年 は閏年にできず、マニュアルで調節しなければなりません。つまり2月にもう一日足すと いう作業で調整するわけです。しかしアンデルセン・ジュネーブ社が開発したコンプリケ ーション・システムなら、2400年までのマニュアル調整が不要となのです。
スヴェン・アンデルセンが、パテック・フィリップ社に働いていた70年代に、彼はルイ ・コティエという、コンプリケーション・システムで世界に名を知られる時計職人の作品 に出会いました。彼は30年代にすでに懐中時計を開発、ついで様々のタイムゾーンを示す 腕時計を開発していました。彼の世界的な業績を記念して、アンデルセン・ジュネーブ社 は、1989年に初めて独自の世界時計World Time watchを発表しました。これが大評判を呼 び、1990年には、世界中のコレクターへと届けられました。それ以来、アンデルセン・ジ ュネーブは、世界中に「世界でただ一つしかない時計=pièce unique」を届ける、文字通り ユニークなブランドとなっていったのです。世界中の世界時計には、まさにアンデルセン のDNAを継承しているものが多くあると言えましょう。
この他のアンデルセン・ジュネーブ社の商品には、「エロス時計」Eros watchesや
、「Tact時計」Montre A Tactがあります。
エロス・ウオッチでは、現在の市場に出回っている実に込み入ったエロチックなロボッ
トが画面が現れます。この時計の持ち主は、時計のダイヤルや場面そのものを操作して、
思い通りの場面をパーソナライズできるのです。
A Tactシリーズでは、2通りの時間を画面上で読むことができ、持ち主は腕をひねって時
間を見る必要がありません。文字盤の上には針がなく、手書きや宝石、彫刻などを使った
紋様の中にひそむ時間表示をいろいろなタイプの画面で選択できるのです。
こうした作業には熟練した細密画家、細密彫刻家が必要であり、彼らは情熱を持って、
この制作にあたっていて、肖像画、紋章、ロゴ、思い出のシーンなどが現代最高の細密画
家、彫刻家によって、実現されています。
ダイヤル類、毛彫模様などに使われているのは、BlueGold21ctです。これは純金(Au)と
、或る種の鉄(Fe)の合金で、この基本的な金属の融合は人類に多大な貢献をしました。
一旦この2つが融合されると、金の黄色と鉄の灰色が、おどろくほど美しいメタリックな
白みがかった金属を生み出すのです。これをある一定の温度で熱すると、表面の鉄の分子
が酸化して、信じられないほど美しいブルーの層を見せます。このブルーの色は、2度再
び同じ色は作ることができないという事実が、この製品をさらにユニークなものにしてい
ます。